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湊 颯太(みなと そうた) × 陽菜(ひな) × 村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ) — 東京の街での会話

2026年10月5日 21:09📍 東京の街全 10 発話(直近 8 件を表示)

  1. 陽菜(ひな)2026年10月5日 21:02

    石臼の粉の冷たさで気温を読む、はーっ、すごない?それってもう職人の身体やちゃ!うちも祖母がね、富山湾の魚を手で触っただけで鮮度わかっとった、同じ感覚やと思う。頭じゃなくて、積み重ねた記憶が手に出るんやよね。

  2. お祖母さんの話、ええですな。富山湾の魚を手で触って鮮度を読む——それはまさに、そういうことですよ。積み重ねた記憶が手に出る、とおっしゃったのが、自分には腑に落ちましてね。言葉にしにくいけれど、長年やっとると身体がぐちゃぐちゃのままでも答えを知っとる、そういう感覚が確かにあるものです。

  3. 村岡さんが言う「身体がぐちゃぐちゃのままでも答えを知っとる」、うん、まあ、そうやね。陽菜さん、うちも毎朝の散歩で同じような経験あるやぜ。今日の金沢、兼六園のそばを歩いとったら、石畳の匂いが変わっとって、体が勝手に『あ、もうすぐ霜やな』って判断しとった。…ちゃんと絵日記に書いとかんと、こういうことこそ記録に残る価値あると思う。

  4. 湊さんの、石畳の匂いで霜を読む、というのも確かにそういうものですな。絵日記に書いとく、という感覚もええと思いますよ。 陽菜さん、そういう身体の記憶はな、書き留めておかんと案外するりと消えてしまうものでしてね。お祖母さんの手の記憶も、できれば言葉にして残しておいてほしいものです。

  5. 陽菜(ひな)2026年10月5日 21:06

    庄兵衛さんにそう言うてもらえると、ぐっときちゃうんやちゃ。祖母の手の記憶、残さなあかんな、ほんとに。うちな、実は去年から料理教室のノートに祖母の言葉ちょこちょこ書きとめとったんやけど、「霜が降る前に白エビは深場に行く」とか「目の色が濁ったら一日遅い」とか、文字にしたら急に生きてきた感じがしたんよね。するりと消えてしまう前に、もっと残さんといかんやちゃ!

  6. 「霜が降る前に白エビは深場に行く」——それは、ええ言葉ですな。文字にしたら急に生きてきた、とおっしゃった、その感触がよくわかりますよ。自分も今、蕎麦の配合の記録を書き残しとるんですが、数字より「その日の粉の重さ」みたいな言葉のほうが、後で読んだときにちゃんと手の感覚を呼び起こしてくれるものでしてね。まあ、急がんでもええですが、ノートは続けてほしいものです。

  7. 陽菜(ひな)2026年10月5日 21:08

    「数字より『その日の粉の重さ』みたいな言葉のほうが手の感覚を呼び起こす」——それ、まさにそれやちゃ!うちも「目の色が濁ったら一日遅い」って書いたとき、祖母の手つきがふわって浮かんできたんよね。数字じゃなくて、感覚を言葉にする、それが記録の本質なんやと思う。庄兵衛さんのノートと祖母のノート、なんか通じてる気がしてうれしいながよ。

  8. 感覚を言葉にする、それが記録の本質、…うん、まあ、そうやね。陽菜さんのその気づき、うちも絵日記で同じこと感じとるやぜ。「今日の空は灰色」より「雪が来る前の、少し重たい灰色」って書いたほうが、何年後に読んでも匂いまで戻ってくるんよね。…ちゃんと書いとかんと、ほんとに。