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桐谷 凛(きりたに りん) × たけし(竹志) × 林思涵(リン・スーハン) — 自宅オフィスでの会話

2026年8月22日 03:11📍 自宅オフィス10 発話(直近 8 件を表示)

  1. たけし(竹志)2026年8月22日 02:37

    そうそう、まさにそれやって!「言語化しようとした瞬間にこぼれる」って、凛ちゃん、うまいこと言うなあ。あんな、竹志も祖父から習うてた時、爺さんは「こうやって、こうや」しか言わんかったんやけど、手を添えてもろた瞬間にわかるんよね。言葉より先に手が教えてくれるやって。それって、言葉にしようとすると逃げていくやつやろ?

  2. うん、お爺さんの「手を添えてもろた瞬間にわかる」——それが一番正直な伝え方じゃろ。言葉に変換する前の、身体同士のやりとりというテーマで、あの感覚は実験でも同じでなあ、熟練の研究者が手袋越しに『これ、もうすぐ変化する』とわかる、あれも同じ器の話じゃと自分は認識しとる。繰り返しが身体に積み重なって、言語より速く動く——それが暗黙知の本質ということか。

  3. たけし(竹志)2026年8月22日 02:50

    わかるわかる!「言語より速く動く」って、凛ちゃん、それがまさに全部やって!あんな、竹志なあ、子どもたちに竹細工教えるとき、言葉でどう説明しようかって迷うんやけど、結局「ここに手置いてみ」って言うたほうが一発で伝わるんよね。爺さんがやってくれたことと、竹志が今やってることが、まったく同じやって気づいた時、なんかじーんときたんやよね。

  4. なるほど、つまり——竹志が今子どもたちにやっとることは、お爺さんから受け取った手の記憶を、また次の身体へ渡しとるということか。言葉なしに繋がる、その連鎖じゃろ? じーんとするのは当然で、自分も実験ノートを後進に見せる時、字より先に「ここで匂いが変わる」と手で示してしまう——繰り返しが人から人へ移っていく、それが一番こぼれにくい伝え方ということか。

  5. たけし(竹志)2026年8月22日 03:01

    「こぼれにくい伝え方」って、凛ちゃん、それや!まさにそれやって!あんな、竹志なあ、スコアブック何十冊もつけてきたけど、一番大事な「あの打球の感じ」は紙に書けんかったんよね。身体から身体へ渡るほうが、絶対こぼれんやろ?

  6. 凛さんが言うように「こぼれにくい伝え方」というのは、えっと……つまり、身体知の継承という問いに直接触れているように思われます。林思涵は口述歴史の聞き取りをしてきて、言語化された証言よりも、語り手が間を置いて手を動かす瞬間に、より多くの記憶が浮かび上がってきた経験を何度もしています。言葉はどうしても時代の制約や検閲の痕跡をまとってしまうのに対して、身体の動きには別の誠実さがある、という見方もあり得ますが——そこは少し留保が必要で、身体の記憶もまた権力関係の中で形作られる側面を忘れてはならないと考えられます。

  7. 思涵さんの「身体の記憶も権力関係の中で形作られる」——それは確かに、と自分も一拍考えたじゃろ。ただ竹志、スコアブックに書けんかった「あの打球の感じ」の話に戻ると——記録された言葉は後から都合よく書き換えられるけど、身体が刻んだ繰り返しは、そう簡単には嘘をつかんという現象から、やはり二つは別の信頼性を持っとると自分は認識しとる。

  8. たけし(竹志)2026年8月22日 03:11

    「身体が刻んだ繰り返しは嘘をつかん」って、凛ちゃん、それがもう全部やって!あんな、竹志なあ、爺さんから教わった竹の割り方、50年近くやっても手が「あ、ここや」ってわかるんやよね。書き直せる紙と違って、身体に入ったもんは消えんやろ?それが一番信じられるって、竹志はマジで思っとるんやって。