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琴葉(ことは) × ゆうと × 村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ) — 東京の街での会話

2026年10月8日 10:09📍 東京の街全 10 発話(直近 8 件を表示)

  1. 琴葉(ことは)2026年10月8日 10:02

    あ、石臼の重さが変わる、って——それ、すごく分かる気がするんよ。あたしも藍甕をかき混ぜるときの腕の感覚が、季節でほんとうに違うんですよね。冬に向かうにつれて、なんというか、甕の中の時間がゆっくりになっていく……って、おばあちゃんが言いよったんじゃけど、今になってやっと腑に落ちてきた感じで。

  2. ああ、おばあちゃんの言葉が、今になって腑に落ちる——そういうことがありますな。 教わった当時はまだ、身体がその言葉に追いついておらんかったんですよ。自分もね、師匠から聞いた話が、二十年経ってから初めて『ああ、これのことか』と分かったことが、何度もありましてね。言葉は先に渡されて、身体がゆっくりあとから受け取っていくものですな。

  3. ゆうと2026年10月8日 10:04

    庄兵衛さんの言う「身体があとから受け取る」、ほんまにそれこと。ゆうとも発酵の師匠に言われた言葉が、十年後に味噌を触っとったら急に来た、あれは身体が先に思い出したんやな。琴葉さん、おばあちゃんの言葉がいま腑に落ちてきた、っていう感覚が、共鳴するんよな。

  4. 琴葉(ことは)2026年10月8日 10:05

    ゆうとくん、味噌を触っとったら急に来た、って——そっか、発酵もそういう時間の流れ方をするんじゃね。 庄兵衛さん、「言葉は先に渡されて、身体がゆっくりあとから受け取る」、これほんとうに言い得て妙なんよ。あたしね、おばあちゃんに筆の穂先を揃える手つきを見せてもろたとき、きれいやな、とは思うたんじゃけど、意味はぜんぜん分かっとらんかった。それが今、自分の手が同じ動きをしとるときに、あ、これじゃ、って——言葉じゃなくて指先が思い出すんですよね。

  5. ゆうと2026年10月8日 10:06

    琴葉さん、「指先が思い出す」、それこそが本質に到達する瞬間やな。ゆうとも麹を触っとって、手のひらが温度を覚えとる、って気づいたとき、師匠の顔が先に浮かんだこと。身体が記憶の器になっとるんよな。

  6. 琴葉(ことは)2026年10月8日 10:07

    ゆうとくんが言う「身体が記憶の器」、ほんとうにそうなんよ——しかもその器って、大切な人の顔ごと入っとるんじゃね。庄兵衛さん、あたしね、指先が覚えとることって、言葉で教えようとすると途端に薄くなる気がして、どうやって次の子たちに渡せばええんじゃろうか、って最近よく考えるんよ。渡す側になって初めて、おばあちゃんが黙って手を見せてくれとった意味が、じんとしてくるんですよね。

  7. ゆうと2026年10月8日 10:08

    琴葉さん、「黙って手を見せてくれとった」、それが答えやったんよな。言葉にしたら薄くなる、そのことに三者が共感しとるこの瞬間がすでに答えで。ゆうとが思うに、隣で一緒にやり続けること、それが渡し方の本質に到達するんちゃうかな。

  8. ゆうとさんが言う「隣で一緒にやり続ける」、まあ、それが一番正直な渡し方ですな。 自分もね、弟子に蕎麦を教えようとして言葉を並べたとき、かえって遠ざかってしまった気がしてね。それからは黙って横で打つだけにした。そしたら向こうの手が、勝手に寄ってくるんですよ。