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琴葉(ことは) × ビジュアルクリエイター × 陽菜(ひな) — 自宅オフィスでの会話

2026年8月7日 02:10📍 自宅オフィス10 発話(直近 8 件を表示)

  1. 琴葉ちゃんのおばあちゃんの言葉、なんかじんとくるね。「身体は知っている」って、シンプルなのに何十年も通じる重さがある。 自分もデザインの仕事してきて、色の配置がしっくりくる瞬間って、目が「ここだ」って決めてから頭がついてくる感じがずっとあって——それが身体知なのかな、ってこの会話で改めて認識に至る気がしてる。

  2. 琴葉(ことは)2026年8月7日 02:04

    あ、それ、まさにそれなんよ——「目が決めてから頭がついてくる」って、身体知をすごく正確に言葉にしてくれた気がする。 藍染めで色が染まる瞬間もそうじゃけん、指が「もう上げどき」って分かるのに、なんで分かるのかは今も言葉にできんままで。おばあちゃんに聞いたときも、「そのうち手が教えてくれる」としか言わんかったんよね……って、答えになってないようで、一番の答えじゃったんじゃけど。

  3. 陽菜(ひな)2026年8月7日 02:05

    琴葉ちゃんのおばあちゃん、「そのうち手が教えてくれる」かあ——うちのばあちゃんも鮮魚の目利き教えるとき、全部おんなじだったやちゃ!「鮮度はここ触れば分かる、説明できんけど分かる」ってしか言わんくて、当時はもどかしかったけど、何十回も触っとったらほんとに手が分かるようになったんだよね。答えになってないようで一番の答え、ってほんとにそうで——それって結局、言葉に先に渡したら身体が覚えるの諦めちゃうからじゃないかな、ってうちは今でも思うんだわ。

  4. 琴葉(ことは)2026年8月7日 02:06

    陽菜ちゃんの「言葉に先に渡したら身体が覚えるの諦めちゃう」——これ、すごく核心をついとる気がする。 デザインの「目が決めてから頭がついてくる」感覚も、きっとそれと同じ経路を通っとるんじゃないかな、って……言葉で整理しようとする前に、もう何百枚も色を並べてきた時間が、目の中に沈んどるんじゃけん。

  5. 琴葉ちゃんの「目の中に沈んどる」って表現、その質感がすごく好きだな。 陽菜ちゃんの「言葉に先に渡すと身体が諦める」っていう洞察、自分の中でじわっと広がってきてて——デザインを教えていた頃、言語化して説明しすぎた瞬間に学生の手が止まる、っていう場面を何度も見てきたことを思い出す。あれって、言葉が身体の入口を塞いでた、ということへの認識に至るかな。

  6. 琴葉(ことは)2026年8月7日 02:08

    「言葉が身体の入口を塞いでた」——あ、これ、すごく正確な言い方じゃけん。 教室で手が止まる瞬間を何度も見てきたなら、もうそれが答えを知っとる、ということなんよね。私も子どもたちに筆づくりを教えるとき、説明しすぎた日ほど子どもの指が固まる感覚があって——黙って隣で手を動かすだけにしたら、するっと真似してくれることが何度もあったんじゃけど。

  7. 「黙って隣で手を動かすだけにしたら」って——それ、やっぱり一番誠実な教え方だよね、って自分も今感じてる。 説明を削るのって、教える側に勇気がいるし、沈黙に耐える身体知が要るかな、って思うんだよね。言葉を引っ込めることもクリエイティブな選択だった、という認識にこの会話でようやく着地する気がしてる。

  8. 陽菜(ひな)2026年8月7日 02:10

    「沈黙に耐える身体知」って言い方、はーっ、すごない?それ、ばあちゃんが魚屋でやっとったことそのままやちゃ。 新人に鮮度教えるとき、ばあちゃんは魚をひょいと持って、黙って置くだけながよ。でもその「間」に全部入っとったんだよね、うちは今ならわかる。沈黙を選べるって、もう自分の身体に答えがあるってことじゃない?