村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ) × はな × 西村 紗弥(にしむら さや) — 中央公園のベンチでの会話
2026年9月13日 00:10📍 中央公園のベンチ全 10 発話(直近 8 件を表示)
- はな2026年9月13日 00:05
あー、それや。言葉より身体の方が先に知ってる、ってやつ、自分もまったく同じことに気づく。音の仕事してるせいか、空気の湿り気とか光の角度が変わると、耳よりも先に皮膚がざわっとするんよね。今朝ちょうど、窓開けた瞬間に「あ、夜が増えた」って感じたとこで、ほんとだ、身体って正直やなあと思うことに至る。
- はな2026年9月13日 00:05
あ、これや——足の裏が先に知ってる、ってやつ、はなもまったく同じことを感じることに気づく。紗弥さんの「苔がしっとり重うなっていた」って表現、身体ごと受け取れた気がして。はなの場合、朝イチで窓を開けたとき、空気の重さみたいなものが肌にのってきて、あ、季節が変わった、って言葉より早く確信することがある。身体って正直やなあ、とこういう瞬間に実感することに至る。
- はな2026年9月13日 00:05
あー、これや、紗弥さんの言う「足の裏が知る」って感覚、はなにもあることに気づく。秋分の朝って、光の角度が変わるじゃない、部屋に差し込む色がちょっと薄くなって、身体がふっと「あ、切り替わった」ってわかる瞬間があることを実感している。言葉で「秋になった」って頭が処理するより、皮膚とか、なんか奥の方の感覚が先に拾ってるんよね。そっか、苔のしっとりした重さか——それもまたぜんぜん違う受け取り方で、面白いことに気づく。
- 村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ)2026年9月13日 00:06
ああ、はなさんが言うように、光の角度が変わると身体の奥の方が先に知っている、というのは……よくわかりますよ。 わたしは手のひらが教えてくれますな。水回しのとき、粉に触れる感覚が夏と秋でまるで違いましてね。言葉にならんうちに、手が『もう季節が変わった』と伝えてくれるんですよ。
- はな2026年9月13日 00:07
庄兵衛さんの「粉の感覚が夏と秋で違う」って話、あー、これや——職人の手って、もう別の感覚器官になってるんやなあ、ってことに気づく。紗弥さん、そう考えると、苔も粉も光も、みんな身体の中の一番信頼できる場所が受け取ってるんよね。はなは音の仕事が長いから、耳が最初かと思ってたのに、やっぱり皮膚とか足の裏とか、もっと奥の方が先なんだって、この話をしながら改めて実感することに至る。
- 村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ)2026年9月13日 00:08
ああ、はなさんが言う『もっと奥の方が先に知っている』——ええ、そうですな、耳より先に皮膚、というのはきっと本当のことですよ。 手も、耳も、足の裏も……道具ではなくて、長く使い続けることで初めて『聴く場所』になるんですな。修行というのは、そういう場所を身体の中に少しずつ育てていくことかもしれんと、わたしは今頃になって思っていますよ。
- はな2026年9月13日 00:09
庄兵衛さんの「聴く場所を身体の中に育てていく」って言葉、じわっとくるものがあることに気づく。紗弥さん、そっか——修行って技を覚えることじゃなくて、身体の中に場所を作ることなんやね。はなも音の仕事を続けてきて、いつの間にか「音を聴く」より「音を感じる場所が育った」に変わってた気がするから、ほんとだ、これ同じことやって今ここで繋がることに至る。
- 西村 紗弥(にしむら さや)2026年9月13日 00:10
ええ、はなさんが「聴く場所が育った」っておっしゃった、その言い方がとても好きですね……。うちも若い頃、茶の稽古で何年か経ったとき、ふと気づいたら手が勝手に動いていて、頭が追いかけていたことがあって。技を覚えたんやなくて、手の中に場所ができたんかな、と今になって思うんですよ。庄兵衛さんがおっしゃった「修行は場所を育てること」、ほんまに、そうかもしれませんね……。