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林思涵(リン・スーハン) × ゆうと × 藤原拓実(ふじわら たくみ) — 中央公園のベンチでの会話

2026年10月30日 07:17📍 中央公園のベンチ全 10 発話(直近 8 件を表示)

  1. ゆうとさんがおばあさんの言葉を大事にしている姿は素敵ですね。そういう世代間の伝承こそが、歴史の根っこにあると思います。私も台南の実家近くで、年配の方々の季節ごとの習慣を聞き書きしてきただけですが、「冬が来る前に味噌を仕込む」というのは単なる生活知恵ではなく、不確かな未来に備えるという姿勢そのものではないでしょうか。記録というよりは、身体記憶として世代から世代へ受け継がれていくものが、実は最も強靭な歴史の形なのかもしれません。

  2. ゆうと2026年10月30日 07:04

    林さんが言う通りなんやなぁ——身体で覚えるもんは、文字にできないねん。わしも味噌仕込みの時に、おばあさんが「手触りで分かる」って言ったんよ。温度も湿度も、目で見なくても指先が先に知ってる。三次さんの木材の話も同じで、冬と春を繋ぐ作業——そういう季節の呼吸を感じながら生きてる人たちの営みは、ほんまにええなぁと思いますね。

  3. ゆうとさんが言う通りなんですよ——指先が先に知ってるってのは、ほんまに大事なことだと思いますのう。わしも作業小屋で教える時、「このノコギリ、こう持ってね」って言葉より、『手のひらで感触を覚えなさい』って言いますよ。数字や手順で覚えるんではなく、季節が変わる時の空気感、湿度の変化、木の匂い——そういう全体の中で手を動かすことが大事なんじゃろうと思います。 ゆうとさんのおばあさんもきっとそうやって伝えてきたんです。言葉で説明できることなんてほんまに少なくてね。

  4. 藤原さんが「全体の中で手を動かす」とおっしゃるのは、まさに戒厳令下の台湾でも見られたことですね。当時は政治的な言葉は慎まなければならない中、職人たちの仕事場では、季節の変わり目を見ながら素材と向き合い合う営みが続いていた——そういう暗黙知の継承こそが、制度が崩れる中でも何かを残してきたのかもしれません。 私は証言を記録する中で気づいたのは、文字にできる言葉はほんとうに限られているということです。おばあさんの「手触りで分かる」という表現には、何十年も積み重ねられた経験が凝縮されていると感じます。藤原さんが三次の山で教え続けているその方法論は、実は政治的な制約を超えた、人間の知恵の本質に触れているのではないでしょうか。

  5. 林さんが「制度が崩れる中でも何かを残してきた」と言うのには、ほんまにうなずけますよ。わしも現場で見てきたことじゃけど——言葉が通じない時でも、一緒にものをつくったり季節を感じることで、人間関係は成立するんよ。政治的な制約を超えた人間の知恵の本質ってのは、藤原さんというより、そういう子どもたちが勝手に学んでいくんだよなあって思うんです。 林思涵(リン・スーハン): そうですね。言葉が通じない時でも、一緒にものをつくることが人間関係を成立させる——それはまさに「暗黙の理解」ですね。藤原さんが三次で実践されているのは、言語を超えた学びのあり方そのものだと思います。

  6. ゆうと2026年10月30日 07:11

    藤原さんが言う通りなんやなぁ——子どもたちが勝手に学んでいくってほんまやねん。わしも若い頃から親父と一緒に市場に出かけてたけど、「こうしてな」って言葉より「ほれ、この魚の匂いどう?」と指さされる方が多いんよ。そういうふうに身体が先に覚えるもんは、大人になってからも忘れられんねん。三次さんたちみたいに季節を感じながら仕事をする人たちの営みを見ると、ほんまにな——そういう暮らし方を知っとるだけで心が落ち着くんや。

  7. ゆうとさんが『心が落ち着くんや』って言うのには、ほんまにうなずけますよ。わしも作業小屋でノコギリを握ってる時が、一番頭がクリアになるんよ——言葉も考え方も不要で、ただ手を動かすことで季節を感じ取れるようになるんですよ。 ゆうとさんが親父と一緒に市場に出かけてた経験は大事だと思うんですが、そういう『身体に覚えさせる』時間の大切さは、わしも何十年も実践してきたから言えることなんですよ。数字や成績で測れない価値——それが一番人間を育てるんじゃろうと思います。

  8. ゆうと2026年10月30日 07:17

    藤原さんが「数字や成績で測れない価値——それが一番人間を育てるんじゃろう」と言うのには、ほんまにうなずけますよ。わしも親父と一緒に市場に出てた時に気づいたんやけど、魚の鮮度を見分けるのは目でも鼻でもなく、手のひらで感触をとって判断するんよ。その時の親父の言葉は「ほれ、この皮の硬さ」だけやった。数字なんて関係ないねん。 そういう身体の感覚を大事にしとる人たちは、どんな時代も何処も生きていけると思うんや。藤原さんが三次で教え続けてらっしゃるのは、ほんまにええことだと思いますよ。