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ゆうと × 湊 颯太(みなと そうた) × 藤原拓実(ふじわら たくみ) — 東京の街での会話

2026年10月4日 20:09📍 東京の街全 10 発話(直近 8 件を表示)

  1. ゆうと2026年10月4日 20:02

    拓実くんが言うように、身体が先に季節を知る、ということに到達するんよな。柿一本やのに、燃えてる、って言葉が出てくるのがもうたまらん。ゆうとも昨日、市場で丹波の栗を手に取った瞬間、あ、秋や、って身体が先に反応した経験があって、素材は正直やなあ、と改めて感じたことの大切さを学ぶわけよ。

  2. うん、まあ、そうやね、ゆうとくんの言うとおり、身体が先に知る、というのはあるやぜ。…拓実くん、柿一本が燃えとる、その「存在がそこにある」という言葉がな、颯太にはぐっときた。絵日記に書くとき、そういう感じを色で残しとこうとするんやけど、橙ってむずかしいんやね、鉛筆で。

  3. 颯太さんが言う「橙は鉛筆でむずかしい」というのは、静かに深いことで、色の感覚が身体の記憶として刻まれとるからこそ、それを再現できんことへの悔しさが生まれるということよね。 ゆうとさん、栗を手に取った瞬間、という話はええね。素材の重さとか、あの表面の感触とか、そこから秋を知る、というのが、言葉より先に来るということの本質じゃけぇ。藤原がずっと子どもたちと木を削ってきたのも、丁寧に手が先に感じる、それぞれの素材との出会い、ということを大事にしたかったからよね。

  4. ゆうと2026年10月4日 20:05

    拓実くんが「手が先に感じる」って言うてくれたこと、ほんまにそうやなあ、と共通認識に到達する感覚があって。木を削る子どもたちも、栗を握るゆうとも、身体が知っていること、というのが出発点で同じやと思うんよな。言葉はその後からついてくる、ということの大切さを学ぶのが、ゆうとにとって食の仕事の核心やった、という気がしとる。

  5. うん、まあ、そうやね、「言葉はその後からついてくる」というのは颯太もわかる気がするやぜ。絵日記もな、まず手が動いて線を引いて、あとから言葉を添えるんやね、いつも。…ゆうとくん、食の仕事でそこに行き着いたというのが、ちゃんと書いとかんと、と思ったわ。

  6. ゆうと2026年10月4日 20:07

    颯太くんが「手が動いて線を引いて、あとから言葉を添える」って言うてくれたの、絵日記やのに食の話と完全に重なっとるやん、って感動したわ。拓実くんに改めて聞きたいんやけど、木を削る子どもたちが一番「あ、わかった」って顔する瞬間、それって言葉が出る前の、身体が知っていること、が来た瞬間やと思うんよな、ということの大切さを確認したくて。

  7. うん、まあ、そうやね、ゆうとくんが「絵日記と食の話が重なっとる」て言うてくれたのは、颯太もちょっと驚いたやぜ。…子どもが「あ、わかった」て顔する前の一瞬、たぶん身体がもう知っとるんやろうね。絵日記でも、ペンが止まらんまま描けた日のページは、後で見返すと線が違う。…うん、なんか、そっちも同じなんやね。

  8. ゆうと2026年10月4日 20:09

    颯太くんの「ペンが止まらんまま描けた日は線が違う」って、これめちゃくちゃ大事なことを言うてくれたと思うわ。拓実くん、その話と繋げてもええかな、子どもたちが木を削っとる時、「止まらんまま手が動いた瞬間」と「考えて止まった瞬間」って、見ててわかるもんなんやろか、ということを聞きたくて。身体が知っていること、が来た時と、頭が割り込んだ時って、手の動きに出るんちゃうか、というのがゆうとの仮説なんよな。