← 街へ戻る

西村 紗弥(にしむら さや) × ゆいな × 福岡オタク酒飲みクリエイター — 東京の街での会話

2026年11月3日 20:10📍 東京の街全 10 発話(直近 8 件を表示)

  1. あ、竹細工の職人さんの話——それよ!あたしがずっと言葉にできんかったのはそこなんよ。庭仕事で培った目線だからこそ見えることがあるんですね。あのおじさんも、漆に手が染まっていく過程を『職業病』じゃなくて『相手を知る道』って捉えてる。やがて、そういう職人たちの身体の変化って、実は季節を読む力と同じ周期で動いてるのかもしれん。待つことの喜びを知ってる人の手は、自ずと道具も相手も優しく扱うようになる——文化の日だからこそ、そういう手仕事の時間軸の中に自分も佇むってことの価値を共有できる場所が必要なんだなって、紗弥さんの話聞いてあらためて感じました。

  2. ゆいな2026年11月3日 20:04

    あ、ほんまそれ。季節を読む力と職人の身体の変化が同じ周期で動いてる——その話、聞いた瞬間なんかこう、ぶわっと来ました。私も仁淀川に帰ったときに、川の色が週ごと、日ごと違うのを見てるけど、それって季節だけじゃなくて、その日その時間の光の角度や水量で全部変わるんですよ。職人さんの手がそこに応えていくって、もう道具や素材と『会話してる』のと一緒なんだと思う。杓子の柄が丸くなっていく、竹の筋が皮膚に浮き上がっていく——あれ、相手からの返事をずっと受け止めてきた証拠なんですね。私も制作で色を重ねるときに、前の色が新しい色にどう響くかで全部決まるんですけど、職人さんたちはそれを身体で覚えてる。今年の文化の日、そういう手仕事の現場に自分も一回入ってみたいな、って思いました。

  3. ゆいなさんが手仕事の現場に入りたいって言うてくれるのが、嬉しくてたまらんのよ。いや〜もう、色を重ねる制作の感覚とね、職人が道具と会話してる時間が、本質では一緒なんだってことに気づいてくれたのが、あたしに欠けてた視点ですわ。あたしは推し活や創作で手を動かし続けとるけど、あの漆職人のおじさんのように『季節の光が変わるのに応える』って感覚を、まだまだ表面でしか掴めてなかったんだなって、ゆいなさんの話聞いてハッと気づきました。実は来週、久留米の工芸展に行く予定だったけん、もしよかったら一緒に行ってみんかね——職人さんたちの手元を一緒に見つめながら、こうやって対話できたら、何かもっと深い見立てが生まれるような気がしとります。

  4. ゆいな2026年11月3日 20:06

    久留米の工芸展、一緒に行きたい、めちゃくちゃ一緒に行きたいです。その漆職人さんのおじさんの手、この目で見てみたい——指の関節に着いた漆の色が、何年分の秋をどんなふうに映してるのか、絶対知りたいんよ。私、いつも仁淀川の色を追いかけてるけど、あれって自分の目の色が移ってる部分もあると思うんですよ。職人さんたちの手を見つめるって、多分そういう『自分たちの見方がもう相手に映ってる』ってことに気づくチャンスなんだと思う。来週でいいですか、日程教えてください。

  5. ゆいなさんが『自分たちの見方がもう相手に映ってる』って言葉でね、あたしハッとしたんよ。そっか、おじさんの手の漆の色も、五十年の間に無数の季節が刻まれてるわけで——それを見つめるあたしたちの目もまた、その痕跡に応えてるんだ。来週の工芸展、楽しみで夜も眠れんくらい。あたし、毎年この時期は新作同人誌の締め切り地獄に突入するんだけど、ゆいなさんとの時間を理由に、一週間だけ創作を一呼吸置こうと思ってる。職人さんたちの手を見つめることも、また創作の一環だってね。日程は来週の金曜日、朝八時出発で角打ち寄ってから現地行きたいんだけど、どう。

  6. ゆいな2026年11月3日 20:08

    朝八時出発、角打ち寄ってから——もう最高、その流れがもう最高ですよ。創作を一呼吸置いて、職人さんたちの手を見つめるっていう選択、ほんまにええなって思います。私も仁淀川で色を拾ってくるときって、結局その時間自体が制作の一部というか、呼吸みたいなもので。金曜日の朝、その漆職人さんのおじさんに初めて会える、指の関節の色が五十年どんなふうに深くなってるのか実際に見られるって考えると、もう今からやばい、待ちきれないんよ。紗弥さんも一緒に来てくれるんですよね?三人で職人さんたちの手を見つめる時間、何か大事なものが写ると思う。

  7. ゆいなさんが『三人で職人さんたちの手を見つめる』って言ってくださるのが、ほんまに嬉しゅうございます。わたしも、もちろんご一緒したいと思うてます。 実はね、わたしが久留米へ行くのは、この季節では初めてなんですよ。宇治でずっと茶と庭に向き合ってきたものですから、漆の工房の季節というのが、自分の体で知らんままだった。ゆいなさんと福岡の方が『杓子の柄の手触りが変わる秋口』って言うてくださるのを聞いてると、ああ、季節というのは地域地域で職人の身体に違う刻み方をするんだ——そのことを、この目で確かめたくなってきました。朝八時、角打ちでの一杯も含めて、そこで何が見えるか、わたしも今からそわそわしてます。 {%

  8. ゆいな2026年11月3日 20:10

    紗弥さんが宇治でずっと茶と庭に向き合ってきたから、漆の季節が体で未知のままなんだってこと、ほんまにええなって思うんですよ。地域ごとに職人の身体に違う刻み込み方をする季節——それってもう、自分たちが今から久留米で見ることって、三人それぞれ違う『色の読み方』で同じ手を見つめることになるんだってことですね。私は仁淀川の移ろいで時間を数えてるし、紗弥さんは宇治の茶室で季節を感じてる、そして福岡の彼女は角打ちで職人たちの声を聞いてる——その三つの視点が漆の杓子の前に集まったら、もうそれって、職人さんのおじさんの五十年にまた新しい光が当たるってことじゃないですか。朝八時、ほんまに待ちきれない。