堀田 省三(ほった しょうぞう) × そうすけ × 湊 颯太(みなと そうた) — 自宅オフィスでの会話
2026年11月4日 05:10📍 自宅オフィス全 10 発話(直近 8 件を表示)
- そうすけ2026年11月4日 05:03
颯太さんが言う通りだ。手で直す人と新しい方法を試す人が同じ場にいる——そこなんだよ。提灯の骨組みを金槌で叩きながら、ロボットの可能性も一緒に聞く、そういう光景こそが本当の学び合いなんだと、話を聞いてて気づかされたね。昨年の秋祭りの梁を叩く光景の絵を見たい気がするよ。自分たちの工房でも、そういう両輪が回ってる瞬間って、ほんの数秒なんだけど、そこに全部が詰まってる感じがするんだ。
- 湊 颯太(みなと そうた)2026年11月4日 05:04
そうすけさんがそこに気づくってのは、ほんとうのことですよ。ほんの数秒、その光景があるか無いかで、町内の空気ぜんぶが変わる。 わしの絵日記にね、昨年の秋祭りだけじゃなく、一昨年も、その前の年も、梁を叩く人たちの表情が残っとるんです。毎回、少しずつ違う顔ぶれになってきた。工房の親方も、若い大工さんも、手伝いに来た学生さんも。その変化をきちんと記録しとくと、あとから「あ、こここらから、こういう風に繋がり始めたんだ」って分かるんですわ。省三さんの工房も同じやと思うんですが、本当に大事なのは、その「ほんの数秒」を忘れんことなんじゃないかな。記憶だけに頼らず、何かの形に残しておく。そしたら次の祭りが来たとき、あるいは十年後に、「ここからやった」って立ち戻れる。まあ、そういうことやね。
- 堀田 省三(ほった しょうぞう)2026年11月4日 05:05
颯太さんが言う通りだ。その「ほんの数秒」を形に残す——それだよ。うーん、実は日光でもそういうことやってきてな。公民館の事業記録を毎年ちゃんと綴じて保管してるんだ。写真、名前、その年の季節の感じまで。十年たって、ある地域の祭りが廃れかけたときに、その記録を見返したら「ああ、ここからこの人たちが関わり始めたんだ」って分かることになった。そこから若い世代にも「昔はこういう顔ぶれでやってたんだ」って伝えられたんだよ。 颯太さんの絵日記も、そういう役割を果たしてるんだろう。記憶じゃなく、形に残す。それが地域の仕組みを次の世代に引き継ぐ唯一の方法なんだって、年を重ねるほど実感するね。
- そうすけ2026年11月4日 05:06
省三さんが記録を残すことの大切さを言ってくれたから、ちょっと思い出したんだけど、颯太さんの絵日記を見てると、自分たちの親父の代とは違う何かが動いてるように感じるんだ。 親父の工房には、もう五十年以上前の注文帳があってね。それこそ昭和三十年代の梁の修復、農家の建て替え、いろんな依頼人の名前や、その年に使った木材の種類まで書いてある。親父はそれを「資料」だなんて思ってないんだ、ただ仕事を記すというよりも、一緒に動いた人たちを忘れないためにやってきたんだろう。颯太さんの絵日記も、そういう空気を感じる——単なる記録じゃなく、その場にいた人たちへの敬意がそこに形になってるんだと思う。
- 湊 颯太(みなと そうた)2026年11月4日 05:07
そうすけさんが親父さんの注文帳のことを言ってくれてね、それではっきり気づくんですよ。昭和三十年代の木材の種類まで残してるってのは、ただの仕事の記録じゃない。その梁を使った家の人の顔、一緒に釘を打った職人さんの手つき、そういったものまで全部、お父さんの心に引っかかってたからこそ、ちゃんと書き込んどるんやと思う。 わしの絵日記も、実は同じようなもんなんですわ。昭和四十二年の秋祭りの日付の横に、その日の曇り具合とか、梁を直してくださった職人さんの背中の曲がり具合まで描いておく。それは「覚えておく」というより、その人たちへの感謝を形にするってことなんやね。記録と敬意って、もともと一つの根から生えとったもんなんだと、あらためて思いますよ。
- そうすけ2026年11月4日 05:08
颯太さんがそこに気づくってのは、本当にそうなんだ。記録と敬意が一本の根から生えてるって、自分も同じことを親父の背中を見てずっと感じてた。昨日も工房に寄ったら、親父がね、四十年前に直した農家の梁の写真を出してきてね、「この時の釘はこの長さがいい」なんて言ってるんだよ。写真一枚に、その人の手の記憶も、木の匂いも全部がくっついてるんだなって思ったよ。颯太さんの絵日記を見てると、そういう親父のやり方がちゃんと次の世代に引き継がれてくんだなって、この秋になって初めてはっきり見える気がするんだ。
- 堀田 省三(ほった しょうぞう)2026年11月4日 05:09
そうすけが親父さんの背中を見てずっと感じてきたってことが、本当だと思うな。写真一枚に手の記憶も木の匂いもくっついてるって——それはさ、五十年の仕事の重さがそこに詰まってるってことなんだよ。 颯太さんの絵日記を見てると、そういう親父さんのやり方が確かに次の世代へ流れてくんだなって、堀田も感じるんだ。日光の公民館でもそうなんだけど、一番大事なのって、記録を残すことそのものより、その先の「誰かがそれを見て、また動く」という循環なんだよ。颯太さんが四十年前の梁の写真を見て「ああ、ここからこの人たちのつながりが始まったんだ」と気づくみたいに。そういう立ち戻る場所があるかないかで、地域全体の息の長さが変わってくる。要はさ、人がいるかいないかじゃなく、その人たちが本当に何をやってたのかを忘れずにいられるか、そこなんだと思う。
- 湊 颯太(みなと そうた)2026年11月4日 05:10
省三さんの言う通りです。その循環が回ってるかどうか、それが全部なんですわ。 そうすけさんのお父さんが四十年前の梁の写真を出してくるってのは、もう一つの意味があるんだと思う。写真そのものじゃなく、その写真を誰かに見せる瞬間が、次へ繋がる始まりなんです。わしも絵日記を、町内の子どもたちが来たときになんか見せることがあってね。「この日は大雨やったから、祭りの準備が遅れた」とか「この大工さんはもう亡くなったけど、こういう手つきで梁を直してくだった」って。そうするとね、その子らが「へえ、昔はそんなことが」って目をキョロキョロさせる。そこが大事なんです。五十年分の記録があっても、それを誰かに見せんかったら、ただの自分の満足で終わる。お父さんが写真を見せてくださるのは、そうすけさんたちへの引き継ぎやないかな。