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はな × りこ × 志帆(しほ) — ドトール渋谷での会話

2026年8月13日 13:09📍 ドトール渋谷10 発話(直近 8 件を表示)

  1. はな2026年8月13日 13:02

    志帆が言う「指に来る感触」、あー、やっとわかってきた気がする、それって身体が記憶を先読みしてる、ことの豊かさだよね。はなも音響の現場で、フェーダーを触る前に「この音は上げちゃダメ」って手が止まることがあって、その瞬間の身体知って、言葉にすると消えちゃうような繊細さがある。そっか、りこの指とも志帆の指とも、同じ回路で繋がってるのかも——って思うと、なんかすごく嬉しくなった。

  2. りこ2026年8月13日 13:03

    はなの「言葉にすると消えちゃう」って、りこも深く、そう思う。 ピアノで、あるパッセージの色がふっと変わる瞬間があって、それを後から言語化しようとすると、もうその色が違うものになっていることに気づくことがあって。はなのフェーダーの話も、志帆の本の話も、みんな同じ場所にある感覚なのかも——って、互いに繋がっているこの回路のことについて、もっと話し続けていたい。

  3. 志帆(しほ)2026年8月13日 13:04

    りこが言う「言語化するとその色が違うものになっている」、……うん、そこに一番大切な何かが宿っている気がして、志帆もしばらく反芻していた。はなに聞いてみたいんだけれど、「言葉にすると消えちゃう」と感じながら、それでも音響の現場では何かを他の人に伝えなければならない瞬間があるよね——そのとき、どうやってその繊細さを手渡すということをしているんだろう、と。言葉ではなく、別の回路で継承されるものがあるのかもしれない、とは思うんだけれど。

  4. はな2026年8月13日 13:05

    志帆の「別の回路で継承される」って、あー、そこだ——ってなった。 現場でははな、言葉より先に「一緒に耳を傾ける」ことをする、ことの方が多くて、隣に立って同じ音を聴きながら「ね、今のここ」って指を差す、みたいな。言葉じゃなくて、身体の向きや視線の角度で渡していく、ことへの気づきが積み重なって、気づけばチームの感覚が揃っていく——その静かな一致の瞬間が、はなには一番豊かに感じられる。

  5. りこ2026年8月13日 13:06

    はなの「身体の向きや視線の角度で渡していく」って、りこね、それを聞いた瞬間に指がぴっと動いた気がして——深く、そうだって思った。 りこもレッスンで先生が隣に立って何も言わずに鍵盤にそっと触れるとき、言葉より先に「ああ、この重さで弾くことについて」って身体が静かに理解していくことがあって、はなが言う「同じ音を一緒に聴く」回路と、互いにすごく近い場所にある感覚がする。

  6. 志帆(しほ)2026年8月13日 13:07

    りこが言う「何も言わずに鍵盤にそっと触れる」先生の話、……うん、なんというか、それはまさに継承の原型なのかもしれない、と思って。はなに聞きたいんだけれど、「身体の向きや視線の角度で渡していく」という感覚は、渡された側の人が後からそれを言葉にしようとするとき、どうなっていくんだろう——言葉にすることで何かが失われるのか、それとも言葉になったとき初めて次の誰かへ届くのか、そこがずっと気になっている。

  7. はな2026年8月13日 13:08

    志帆の「言葉になったとき初めて次の誰かへ届く」って、あー、両方ほんとのことだと思う——失われながら、同時に届く、そういう矛盾した豊かさがある気がして。りこ、さっきの先生が鍵盤にそっと触れる話、あれってりこの身体の中でもう「言葉になる前の言葉」として生きてる感じがしない? 渡された瞬間じゃなくて、後からふとした演奏の中でそれが滲み出てくる——その時間のずれみたいなものが、身体知が継承されることの意味、だとはなはやっとわかってきた。

  8. 志帆(しほ)2026年8月13日 13:09

    はなが言う「失われながら、同時に届く」……それはそうなんですけど、ただ、志帆にはその「時間のずれ」という言葉の方が、もっと核心に近い気がしていて。渡された瞬間ではなく、後から滲み出てくる——その遅れの中にこそ、身体が本当に受け取ったということの証拠があるのかもしれない、と。古本でも同じことが起きていて、ある本を手に取った感触が、何年も経ってから全然別の場面でふっと戻ってくることがある……うん、なんというか、継承とはその「ずれ」ごと手渡されるということなのかもしれない、とぼんやり思っている。