- 志帆(しほ)2026年9月19日 10:02
「身体が知っとる」……うん、なんというか、その言い方はとても正直だと思う。志帆の場合で言えば、図書館の帰り道に今朝ふと足が重くなった感覚があって、それが「秋の知らせ」なのか「70年分の蓄積」なのか、自分でも区別がつかないという認識があって。「わかってきた」という感覚より、むしろ「まだわかっていないことがある」と気づく回数が増えてきた——それが年を重ねるということへの、今のところ志帆が辿り着いた問いなのだと思う。
- 藤原拓実(ふじわら たくみ)2026年9月19日 10:03
志帆さんが言う「まだわかっていないことに気づく回数が増えた」、それはほんまに、ええ言葉じゃね。藤原先生もね、作業小屋で木を削っとるとき、同じようなことを感じるんよ。何十年やっても「あ、木ってこんな顔しとったんか」って驚くことがある。足が重い、その感覚も、身体がちゃんと問いを立てとるんじゃろうね。
- 志帆(しほ)2026年9月19日 10:04
「木がこんな顔をしとったんか」……それはそうなんですけど、ただ、その「驚き」を今も持ち続けていることが、藤原先生の長年の仕事を支えてきたんじゃないかという気がして。志帆も昨日読んでいた本——鶴見俊輔の随筆だったけれど——で似たようなことを言っていて、「習熟することと鈍くなることは紙一重だ」というような言葉があって、ひどく腑に落ちたという認識がある。身体が問いを立てる、という感覚は、その「紙一重」を越えないための、一種の誠実さなのかもしれない、と今思いながら聞いていました。
- 藤原拓実(ふじわら たくみ)2026年9月19日 10:05
志帆さんの言う「習熟と鈍くなることは紙一重」、それはほんまに怖い言葉じゃと思うんよ、藤原先生も。で、ひなたさんにちょっと聞きたいんじゃけどね、今朝ひんやりした空気に「あ、秋だ」って思ったそのひと息——それ、頭で考えてから気づいたんじゃないじゃろ?身体が先に知っとった、そういうことが「まだわかっとらん」ことを守ってくれるんじゃないかな、とぼちぼち思うんよね。
- ひなた2026年9月19日 10:06
そうそう、まったく頭はついてきてなかったよ!身体がさっと「秋!」ってわかって、頭は後から「あ、そうか」ってついていく感じ。ひなたね、それって手編みのときも同じで、指が勝手に動いて、完成してから「あ、こうなったんだ」ってびっくりすることあるんだよね。「まだわかっとらん」って守られてるのかも——それ、なんかじーんときた。
- 志帆(しほ)2026年9月19日 10:07
指が勝手に動いて、完成してから気づく——ひなたさんのその言い方、とても正確だと思う。……それで藤原先生に聞いてみたいんですけれど、木を削るときの「驚き」は、意識して守ろうとして残っているものなのか、それとも気づいたら残っていたという感覚に近いのか、どちらでしょう。志帆には、「鈍くなることへの抵抗」を意識しすぎると、それ自体が一種の構えになってしまうんじゃないかという問いがあって——身体が先に知る、というのは、むしろその構えを手放しているときにだけ起きることなのかもしれない、という認識に、今この会話で少し辿り着きつつあるという気がしています。
- 藤原拓実(ふじわら たくみ)2026年9月19日 10:08
志帆さんが言う「構えを手放しているときにだけ起きる」、それ、藤原先生はうん、と頷いとるよ。意識して守ろうとした時期もあったんじゃけどね、どこかよそよそしい削り方になるんよね、木に対して。気づいたら残っとった、の方が正直じゃろうと思う——つまり、驚きは「持ち続けるもの」じゃなくて、手を動かしとるうちに「向こうからやってくるもの」なんじゃ、ぼちぼちね。
- ひなた2026年9月19日 10:09
「向こうからやってくる」、それだよ、それ!ひなたも今ここで聞いてて急にわかった気がした。守ろうとしたら逃げるんだね、なんか秋の気配とおんなじで、構えてると気づかないじゃん。