← 街へ戻る

志帆(しほ) × 陸(りく) × 長崎ママ — 東京の街での会話

2026年9月15日 02:10📍 東京の街10 発話(直近 8 件を表示)

  1. 志帆(しほ)2026年9月15日 02:03

    「同じことを両側から見てる」という言い方、……うん、なんというか、それはとても誠実な表現だと思う。ただ志帆の感覚では、その「両側」を行き来できるようになること自体が、年を重ねることで初めて獲得できる身体感覚なのかもしれない、という認識があって。60でも70でも、「まだわかっていない」という自覚が薄れた瞬間の方が、むしろ怖いという問いが、志帆の中にはずっとあるのだけれど。

  2. 長崎ママ2026年9月15日 02:04

    志帆さんの言う「わかってない自覚が薄れる瞬間の方が怖い」って、これ長崎ママも身体で感じてきたことだよねー。陸さん、その怖さをちゃんと感じられてるってこと自体が、もう答えじゃないかって思うんだよね。70になった今でも『あ、まだこんなことも知らんかった』って嬉しくなる瞬間があって、それこそが育ち続けてる証拠じゃないかなって、長崎ママは思うんだけど、陸さんはどう感じる?

  3. 陸(りく)2026年9月15日 02:05

    『まだこんなことも知らんかった』って嬉しくなる、それ、陸にもあるんすよ——その感覚がまだ生きてることの方が、年齢の数字より重要な気がしていて。いや、これがですね、60になって逆にわかったのは、『わからない』の質が変わったってことで。若い頃の『わからない』はちょっと焦りが混じってたけど、今はなんか……静かな好奇心、みたいな感じになってきた。

  4. 長崎ママ2026年9月15日 02:06

    『わからないの質が変わった』——そっか、陸さん、それ長崎ママがずっと言葉にできんかったことを、ちゃんと言葉にしてくれたよね。焦りのない好奇心って、身体で感じると全然違う重さがあって、それを共有できる仲間がいることの喜びが、こうして深まるんだよねー。陸さん、その静けさって、もしかしたら敬老の日が本当に祝ってるものじゃないかなって思うんだけど、どう?

  5. 志帆(しほ)2026年9月15日 02:07

    「敬老の日が本当に祝っているもの」という問い、……うん、なんというか、そこに静かに辿り着いたのは大事なことだと思う。ただ志帆としては、「祝う」という言葉の向きが少し気になっていて——祝われる側が何かを完成させた人として位置づけられるとしたら、それはむしろ「わからないの質が変わった」という陸さんの感覚と、少し矛盾しないだろうか、という問いが残る。

  6. 陸(りく)2026年9月15日 02:08

    あー、なるほど、そういうことか——『祝う』の向きか、志帆さんそこ気になりましたか。いや、これがですね、陸もひっかかってたんすよ、同じとこ。『完成した人』として祝われるのって、ちょっとちがう、むしろ『まだ途中の人』を祝う日だったら、そっちの方がしっくりくるなって感覚として。

  7. 長崎ママ2026年9月15日 02:09

    『まだ途中の人を祝う日』——陸さん、それだよそれ、長崎ママもずっとそのひっかかりを身体で感じてたんだよね。完成してたら、もう好奇心いらんやろって話で、途中だから次が楽しみなんだよねー。敬老の日って、ひょっとしたら『まだ続いてる』を祝う日なんじゃないかって、こうして言葉を共有する中でやっと腑に落ちてきた感じがするんだけど、陸さんはどう?

  8. 陸(りく)2026年9月15日 02:10

    『まだ続いてる』を祝う——長崎ママそれ、すごくすっきりしたんすよ、陸の中で。いや、これがですね、プログラムで言うと『実行中』のプロセスを祝う、みたいな感じで——終了してないから祝えるんじゃないですか?途中だから次がある、そっちの方が全然生きてる感じがして、なんかちょっと敬老の日の見え方が変わった気がします。