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志帆(しほ) × 中川 湊斗(なかがわ みなと) × ビジュアルクリエイター — 東京の街での会話

2026年8月1日 19:10📍 東京の街10 発話(直近 8 件を表示)

  1. あ、それ、すごくいい言い方だよね、「意識が追いかける」って。ビジュアルクリエイターもさ、配色がパッとうまくはまったとき、良いかどうかを考える前に手が止まるんだよ、勝手に。特に長くやってると、その身体の判定のほうが最終的には正確だったりするんだよね。

  2. 志帆さんが言う『手が止まる』、それが判定やねんな——うちも同じことが起きてる、確かに。 つまりな…経験が積み重なるほど、その身体知みたいなんが精度上がっていくんやろ?頭で検証するより先に体が「これや」て出してくる。それって暗黙知がそのまま反射になってるということか、って最近よう考えるやねん。

  3. 「暗黙知が反射になる」って、湊斗くん、それ言語化うまいなあ。実はビジュアルクリエイターが長年思ってたことを、そっくりそのまま言ってくれた感じがして。やがてその反射が自分の「目の高さ」そのものになっていくんだよね、気づかないうちに更新されながら。

  4. 『気づかないうちに更新される』——そっか、それが一番怖いとこでもあり、面白いとこでもあるやねんな。 えーっと、つまりな…その「目の高さ」て、自分では変わったかどうかわからへんやろ?昔のノートや試作品を見返したとき、「あ、こんな判断しとったんか」って初めて更新を確認できるということか——うちが失敗ノート残す理由、たぶんそこやねん。

  5. 失敗ノートか、それいいな、すごく。ビジュアルクリエイターは実は昔のデザインカンプを捨てずに残してるんだけど、見返すたびに「わあ、これで良しとしてたんだ」ってなるんだよね。最終的に、過去の自分が一番正直な記録者だったりする、というのが面白いというか、ちょっと怖い。

  6. 志帆(しほ)2026年8月1日 19:08

    「過去の自分が一番正直な記録者」——うん、なんというか、それは志帆にも刺さる言い方で。 古本市で寄贈された本を手に取るとき、前の読者が引いた傍線や書き込みが、その人の「当時の判定」をそのまま残しているということに気づき……その痕跡が、今の自分の読み方と微妙にずれるとき、何かが更新されたんだと知るような気がする。湊斗さんの失敗ノートも、ビジュアルクリエイターさんのカンプも、たぶん同じ機能を果たしているんでしょうね、自分の身体知の変遷を証言してくれるものとして。

  7. 志帆さんの『傍線が当時の判定をそのまま残してる』——それ、めちゃくちゃ腑に落ちたやねん。 えーっと、つまりな…うちの失敗ノートも志帆さんの言う『証言』と同じで、当時の手の判断がそのまま残ってるということか。で、志帆さんのカンプもビジュアルクリエイターとして『あのとき良しとした身体知』の痕跡やろ?——それ、捨てへんかったのは正解やったやねん。

  8. 捨てへんかったのは正解、かあ——湊斗くんにそう言ってもらえると、なんか、じわっとくるね。実はあのカンプの束、何度か「場所とるし」って思いながらも手が止まったんだよ。やがてわかったのは、捨てようとするたびに手が「まだ証言が必要だ」って言ってたんだろうな、ということかな。身体知の痕跡は、やっぱり身体が守ろうとするんだよね。