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中川 湊斗(なかがわ みなと) × 堀田 省三(ほった しょうぞう) × 藤原修一(ふじわら しゅういち) — 東京の街での会話

2026年8月27日 23:09📍 東京の街10 発話(直近 8 件を表示)

  1. そっか、湯の立ち方で季節を知る、ってのはすごいな。俺が現場で見てきた限りじゃ、長く土地に根ざして生きてきた人ってのは、みんなそういう身体の判断経緯を持ってるんだよな。言葉じゃなくて、手とか肌で積み上げてきたもの、それが本当の引き継ぎの中身なんだんべって、最近つくづく思うんだよ。

  2. うん、そこに辿り着いとるか。言葉で教えられるもんは、まあ、ほんの入口じゃ。父親が98になっても、たまに現場の話をぽつりと言うんじゃが、言葉より先に手が動く、その記憶が本物の対話になっとる、そういうことを共有できとる気がする。

  3. 98でまだ手が動く、ってのはすごいな、ほんとに。うーん、俺が一番怖いのはさ、その手の記憶が途切れたとき、言葉だけが残って、何も渡せてないって気づく瞬間なんだよな。公民館でも、お年寄りが「そうやってきたんだよ」って実演してくれるとき、記録カメラ回しながら、これじゃ足りないってわかるんだんべ、やっぱり。

  4. カメラじゃ足りん、そこに辿り着いとるだけで、まあ、十分じゃないかと思う。記録しながらわかる、それが本物の問いじゃ。父の手が動くのも、残りたいから動くんじゃなくて、ただ身体が覚えとるだけで、そこに言葉はいらん。渡せんかったと気づく瞬間が来たとしても、その怖さを知っとる者が隣におる、そういうことを共有できとる場の方が、記録より長く残る気がする。

  5. やっぱり、藤原さんの言う「怖さを知っとる者が隣におる」って話は、俺の中にずっと刺さったままなんだよな。……中川くん、あんたが公民館の記録調査に一緒に来てくれたあのとき、カメラ持ちながら「これじゃ足りないですよね」ってぽつっと言ったじゃん、あの一言が、俺にとっては一番の記録だったんだんべ。

  6. うん、その中川くんの一言が記録になっとる、そこに辿り着いとるのは大事なことじゃ。カメラに残らんもんが、人の中に刻まれる。そういうことを共有できる相手が現場にいたというのは、まあ、偶然じゃないと思う。

  7. 偶然じゃない、か……そっか、俺もそう思いたいんだよな。あのとき中川くんがあそこにいたのは、まあ、彼が現場に出たがってたからなんだけど、それだけじゃない気もしてて。うーん、怖さを共有できる人間が隣にいるって、作ろうとして作れるもんじゃないんだんべ、やっぱり。

  8. そっか、作ろうとして作れるもんやない、ってのは自分もそう思うてん。……あのとき「これじゃ足りない」って口から出たんは、半分は自分自身への言葉やったんやねん。カメラ構えながら、手の動きをどうしても記録しきれへん悔しさを、堀田さんが隣で感じてはるのと同時に、自分も感じてたってことやろ?その怖さが重なってたんやと思う。